今日の南日本新聞、文化面に日本文学翻訳者「マイケル・エメリック」の文がありました。
題して『ある書店をめぐる物語・街の記憶 集積する場所』
アメリカの書店経営は、ますます厳しくなっているそうです。
先日も、ニューヨークの書店が廃業したと、ネットのニュースで知りました。
アマゾンや電子書籍の勢いで、英語圏の新刊書店は衰退の一歩のようです。
「ある書店をめぐる物語」は、ニューヨークの由緒ある新刊書店のこと。
経営難のため閉店の危機になったが、資本主義の常識を覆す、書店の地代引き下げ嘆願書の雨嵐。
さらに、家主はそれに答えるどころか、ローンの支払い免除までも約束したそうな。
マイケル・エメリックによると、アメリカの独立系新刊書店が果たした役割は、『カウンターカルチャー』を積極的に擁護した点だそうだ。
それに比べ、日本の書店は『その街の知的中核であり、社会的な場というよりも、独りでふらりと入って…個人の記憶の中に形を留めるスペース……』と。
日本のカウンターカルチャーは、「ジャズ喫茶」「大学周辺の飲食店」などがある。
場の熱気が、今はオープンカフェに変わったりしているが、-ある時間の名残というのは想像以上に重要なのかもしれない-と。
今、若い人たちの古本屋開業の動機は、ひょっとしてこれかも知れないと思ったところです。
ふと、周りを見渡すと「古本」が場の熱気の名残としてポツンとある。
それが、いいのかも知れない。
ハイカル本、サブカル本と、本もまた『カルチャー』という熱の産物です。
古本屋の方向の1つとして、ジャズ喫茶的要素『場の熱気』が求められている、そんな気がします。
ただ今のお店は、おはなし会が終わり、子どもたちの賑やかな声であふれかえっています。
出久根達郎氏のエッセイ「20年後のお客様」のように、1冊1冊熱心に読んでいますよ。