2011年04月23日
初めて鹿児島で…出会いました
「日本の古本屋」からのご注文が、どんどん減ってきている今日この頃でございます。
今日こそ、明日こそ良書の買い取りがあればと願っています。
と、ご来店のお二人連れさんが。
袋から取り出したのが……

頭が真っ白に。
いやいや、鹿児島で初めて持っている方に出会いました。

ついでに裏表紙もご覧下さい。
大正昭和初期の「少女の友」は、県外の市場で数冊ほど落札し、東京の市場で見て
状態など頭にたたき込んでいたのですが、昭和20年代後半を見るのは初めてです。
「つばめ文庫」「夢の棚」さんが生まれ育ったところから、わざわざおいで下さり有り難う
ございました。
また、お連れの方のお父様は、福岡市の九大前で古本屋を営んでおられたそうです。
「ダイチ」という名前のようでした。
誰か正確な事ご存じでしたらご教授下さい。
近々、再会の約束をしました。楽しみです。
今日こそ、明日こそ良書の買い取りがあればと願っています。
と、ご来店のお二人連れさんが。
袋から取り出したのが……

頭が真っ白に。
いやいや、鹿児島で初めて持っている方に出会いました。

ついでに裏表紙もご覧下さい。
大正昭和初期の「少女の友」は、県外の市場で数冊ほど落札し、東京の市場で見て
状態など頭にたたき込んでいたのですが、昭和20年代後半を見るのは初めてです。
「つばめ文庫」「夢の棚」さんが生まれ育ったところから、わざわざおいで下さり有り難う
ございました。
また、お連れの方のお父様は、福岡市の九大前で古本屋を営んでおられたそうです。
「ダイチ」という名前のようでした。
誰か正確な事ご存じでしたらご教授下さい。
近々、再会の約束をしました。楽しみです。
Posted by Kosho Liset at 15:44│Comments(2)
│古本買取日誌
この記事へのコメント
私が業界に入って初めて訪れた場所は、箱崎九大前の古本屋さんでした。漫画ばっかり扱っていた勤め先と違って、お店はどこも匂いが違っていて、すこしどきどきしました。後年近しくお話をお伺いしたり、ご自宅にもお邪魔した地行書店さんの前に、お話の【ダイチ】ではなく、第一書店さんがおいででした。白髪、長身でスリムなちょっと小林秀雄を彷彿とさせるご主人でした。お店は小さく、5坪くらいだったでしょうか?もううんと昔のことではっきりしませんが、どのご本をとっても、新聞や、雑誌よりの切り取りが挟み込まれていて
【こんな紙くずを捨てないで、そのまま棚に差すなんてお年なんで
ものぐさ?なのかな】とそのときには思いましたが、その直後、お店を畳まれる(いや、亡くなられたのだったか、記憶が曖昧です)というので今泉神社の組合の市に在庫が出たのですが、その折、
四宮さん(だったと記憶しています)は、丹念に本を読まれ、また、
関連の記事などは本を求められるお客さんの利便にと、切り取られ
本に差し込んでおられたということを、聴き、自分の不明を恥じました。懐かしいお名前です。その後、ちょっとでしたが、現東京にて
営業のえはがきや、畑中さん(当時、リブロ書房?玄学書房)
がお店を借りていたこともありました。
【こんな紙くずを捨てないで、そのまま棚に差すなんてお年なんで
ものぐさ?なのかな】とそのときには思いましたが、その直後、お店を畳まれる(いや、亡くなられたのだったか、記憶が曖昧です)というので今泉神社の組合の市に在庫が出たのですが、その折、
四宮さん(だったと記憶しています)は、丹念に本を読まれ、また、
関連の記事などは本を求められるお客さんの利便にと、切り取られ
本に差し込んでおられたということを、聴き、自分の不明を恥じました。懐かしいお名前です。その後、ちょっとでしたが、現東京にて
営業のえはがきや、畑中さん(当時、リブロ書房?玄学書房)
がお店を借りていたこともありました。
Posted by 謎の大男 at 2011年04月24日 19:13
先日はお世話になりました。車を運転してつれていったものです。
父の古本屋は「第一書房」といいました。あの日父のこと思い出して
福岡古書組合75年史をひろげて父の写真をながめたりしてました。また寄らせてください。
父の古本屋は「第一書房」といいました。あの日父のこと思い出して
福岡古書組合75年史をひろげて父の写真をながめたりしてました。また寄らせてください。
Posted by 茉莉花 at 2011年04月26日 00:46
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。